「電撃ネットワーク」のリーダーである南部虎弾さんが、2024年1月20日、脳卒中のため72歳で亡くなったことが発表されました。
過激なパフォーマンスで観る人を驚かせた南部虎弾さん。
南部虎弾さんは「電撃ネットワーク」に所属する前、「ダチョウ倶楽部」のリーダーをされていました。
南部さんが「ダチョウ俱楽部」を脱退した理由は一体何だったのでしょうか。
南部さんがいたころの「ダチョウ倶楽部」についても気になります。
この記事では、
- 南部虎弾さんがダチョウ俱楽部を脱退した理由
- 南部虎弾さんがダチョウ倶楽部に居た時代のファンの感想
などについて調査しました!
南部虎弾のダチョウ倶楽部脱退理由はクビ⁉
南部虎弾さんがダチョウ俱楽部を脱退した理由をくわしく調べました。

「ダチョウ倶楽部」は1995年から始まり、1997年に南部さんがグループを脱退しています。
南部さんの脱退の理由については、4人ともしばらくは明かしていませんでした。
が、後に、徐々に明らかになっていきます。
明かされたエピソード
- 夜中に突然上島の家に電話し『ビー玉飲めるか?』と聞いたが、できないと上島さんは答えた
- コントの段取りを無視して奇声を上げて走り回ったりした
- 事前に打ち合わせなしで勝手に毒舌をはくなどの独断行動をした
- 『ハナクソ』のイントネーションに関する議論だけで打ち合わせが延々続いた
- いきなり『俺は久米宏になる!』と宣言
といった、南部さんと3人とのお笑いの方向性の違いであることが判明しています。
以下のコメントは南部さん自身の発言です。
きちんとした芸でやっていきたかった3人と、僕は外れていってクビになった
事前に根回しせず勝手に毒舌を吐くなど自分の独断行動に3人が付いていけなくなり、結果としてクビになった
南部さんが「クビになった」と話されていますので、これは正しい情報と言えるでしょう。
また、ネット上では次のようなことを肥後さんが話されていたとの情報があります。
南部が無茶苦茶なお笑い路線を主張したためと、肥後やら寺門が言っているのをTVで見たことあります。
引用:Yahoo!知恵袋
ステージで犬のフ●を食おう。大うけするぜとか。
他の三人が渋々了承すると、じゃ、練習だと取り出してきたと。
練習では食わなくていいだろうと三人が反発したら、
練習でできなかったら本番でできるはずない!とか。
また、こんな声も。
現在の電撃ネットワークのような過激さに進んでいって
引用:Yahoo!知恵袋
3人がついていけなくなって南部虎弾を追い出したと聞いたことがあるけど。

4人で「ダチョウ俱楽部」をして2年間には、たくさんのすれ違いのようなことがあったのでしょう。それが積もり積もって南部さんの脱退に繋がっていったのだと考えられます。
また、ウィキペディアにはメンバーとの仲違いも脱退理由としてあげられています。
芸風や方向性の違い、さらにはメンバーとの仲違い等からダチョウ倶楽部を脱退。
引用:ウィキペディア
ただ、4人の仲が最上級に悪かったというわけではなく、南部さん脱退後も4人の関係は良かったとか。
南部さんの入院時には3人揃ってお見舞いに訪れることもあったそうです。
このような話にはホッと安心しますね。
南部さんの病歴
- 1994年:糖尿病が悪化→左足の甲の一部が壊死し治療を開始
- 2017年:自宅で倒れて緊急入院
- 検査で急性冠症候群による心不全も判明し、心臓血管をバイパス手術
- 2019年:腎臓機能が低下し、人工透析か移植を迫られ、妻・由紀さんがドナーとなり生体腎臓移植を受けた
南部虎弾がリーダーだったダチョウ倶楽部の世間の評判は?
南部虎弾さんがリーダーを務めていた頃の「ダチョウ俱楽部」の活動時期、世間の評判について調べました。


活動開始時期
4人態勢の「ダチョウ倶楽部」のメンバー、
- 南部虎弾さん(初代リーダー)
- 肥後克広さん(3人態勢になってからのリーダー)
- 上島竜兵さん
- 寺門ジモンさん
で活動を開始したのは、1985年のことでした。
それ以前は、肥後さん・上島さん・寺門さんの3人は多人数のコントグループ「キムチ倶楽部」として活動しており、そこに南部さんが加わることで「ダチョウ倶楽部」として始まりました。
世間の評判
南部さんがいた頃の「ダチョウ俱楽部」の世間の評判をまとめました。
私も数回ぐらいしか観た記憶がない。
何か派手な格好して騒いでただけ…という印象。
ネタはまったく覚えていません。
引用:Yahoo!知恵袋
一番目立ってたのが南部虎弾で、ダチョウ=南部ってイメージでした。
「ひょうきん予備校」で、ゲスト講師のタモリさんに『最近、芸人らしいことしてないのに笑いの帝王と呼ばれるのはおかしい』と毒舌を吐いた南部さん。
ダチョウ倶楽部の他の3人は、大物に失礼ばかりする南部さんの言動に、次第に『僕たちは知りません』と言うようになっていたそうです。



そんなすれ違っていった南部さんと3人との空気感を視聴者も敏感に感じ取っていたのかもしれませんね。。
南部虎弾の訃報とダチョウ俱楽部のコメント


2024年1月21日に明かされた南部虎弾さんの訃報をまとめました。
南部さんの訃報は、リーダーを務める『電撃ネットワーク』の公式Xにて発表されました。
— 電撃ネットワーク (@tokyo_shockboys) January 21, 2024
南部さんは、以前「ダチョウ倶楽部」で一緒に活動をしていた上島竜兵さんの誕生日1月20日に死去されました。
また、訃報を受けて、現在の「ダチョウ倶楽部」の2人が追悼のコメントを寄せています。
肥後克広さんのコメント
南部さんはダチョウ倶楽部の初期メンバーです。
四人でデビューした戦友です。
当時は全身白塗りで劇場を汚して怒られたり。
夜中に電話してきて『ビー玉飲めるか?』断るとブチギレ。
本当にパワフルでめちゃくちゃで天才で鬼才な芸人。
そんな南部さんの芸をもっと見たかったです
残された電撃を応援します。
南部さんお疲れ様そして、ありがとう
寺門ジモンさんのコメント
本当に残念です、デビュー当時一緒にパフォーマンス芸人的なネタを作り。
頑張っていたのが きのうの事の様な それほどインパクトのある方でした
電撃ネットワークの活躍本当にうれしかったし尊敬してました。
天国でも皆さんを盛り上げてくれるでしょうね。
ゆっくりおやすみください。
お疲れ様でした
肥後さんがが南部さんを戦友と呼んでいます。
お2人のコメントからは、南部さんを慕い、尊敬していたことが感じられるコメントに涙が溢れます。
今頃は天国で、上島竜兵さんと再会を懐かしみお話されていることと思います。
まとめ
この記事では、南部虎弾さんの「ダチョウ俱楽部」脱退理由、南部さんがいた頃の「ダチョウ倶楽部」についてを調査してきました。
- 南部虎弾さんが「ダチョウ俱楽部」を脱退した理由は、「芸風・笑いの方向性の違い」
- 南部虎弾さんが「ダチョウ俱楽部」を脱退した理由は、「メンバーとの仲違い」もあった
- 4人態勢の「ダチョウ倶楽部」は1985年~1987年の約2年間
以上のことがわかりました。
南部虎弾さんのご冥福をお祈りいたします。
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